5年ほど前、大手の会社を製造部長まで勤め上げ、60歳で定年退職し、技術営業としてうちに来てくれた人だった。
不器用だけど、正義感があって、製品に真っ直ぐな思いを持った人だった。
「僕は技術一本で来た人間なので、営業は上手く出来ません。でも一生懸命仕事させて頂きます」
綺麗とは言いがたいが、ガハハと笑う彼の笑顔は素敵だった。
慣れないながらも客先をまわり、積極的に工事を取ってきた。
特に技術面でフォローを入れ、お客さんの部署をドンドン回って、工事の前段取はキッチリしていた。
しかし、少しの嫌味も無く、お客さんの会社のことも、うちの会社のことも親身に考える人だった。
そんな彼なので、お客さんの信頼も厚く、携帯電話もよく鳴っていた。
昨年肺がんを患って、入院したが、奇跡的に放射線治療が効いて、良くなって退院した。
その時は「良くなってよかったね」と彼が好きなチューハイを酌み交わした。
そして現場に復帰して、またバリバリ回り始めた。
しかし、そんなに経たないうちに脳に腫瘍ができた。
入退院を繰り返しながら、良くなってきたとのことで復帰してもらった。
会った時、今度も放射線治療が効いたと言いながら、手術と抗癌剤でツルツルになった頭を見せながら、ガハハと彼は笑っていた。
またしばらくして、今度は腰が痛いと、入退院を繰り返していたので嫌な感じはしていたが、
それでも携帯電話でお客さんのフォローと工程の確認をしっかりこなす彼を応援するつもりで、在籍してもらっていた。
腰の痛みは腰椎の中にできた腫瘍だった。
それが神経を圧迫し、腰の痛みを生み出し、ついには下半身が動かなくなってきた。
そんな中でお客様から表彰を受けた。
私は非常に嬉しかった。
うちの会社始まって以来の表彰だった。
うちの製品が品質に優れ、厳しい納期を守ったからだということだったが、
彼が腰痛を訴える前に取った工事で、病床からも彼が調整を図っていた工事だった。
私は、賞状のコピーを額に入れて、東京に行き、彼のベッドに持って行った。
彼は思いの外喜んでくれて、会社の名誉を自分の事のように喜んでくれた。
あれから一ヶ月半経った今日、彼が亡くなった。
非常に残念な思いだ。
わたしも彼のように一生懸命生きたい。
明日東京に行き、明後日彼に会いに行きます。
担当者さんとお話することがあり、名刺を交換すると、購買の担当を紹介していただけるとのこと。
で、出てこられたのが、三人。
部長代理、セクションマネージャー、担当部長。
さて、誰が一番偉いのでしょうか?
というなぞなぞかと思いきや、どうも弊社の見積書の書き方に関するクレームらしく、書き換えてくれとのこと。
まぁ見積書は弊社のものなので、何やかやと言われる筋合いがはないのだが、
どうもお会社様としては社内で通らないらしい。
理由などは、ここで書くことは差し控えるが、どう考えてもおかしく、
今後のこともあるので、応じられませんと言うと、
「そんなこと言う業者さんはオタクが初めてだ」
との御言葉。
畏まりながら、私も一言
「有難うございます。何事も初めてと言うのは良いことですね。」
と返すと、
皆、ダンマリとなりました。
そもそも「皆○○やってますよ」とか「普通は○○ですよ」とかいうのが、大嫌いで、「じゃあ皆って誰よ!」とか「普通って何じゃ?」とか思ってしまう質なので、かなり生意気言います。
ちょいとした恫喝では逆効果w
結局は双方収まりつくようにしましたが、交渉の仕方を考えさせられました。
オールドタイプな交渉術はやはりオールドタイプと認識すべきですね
業種は別ですが溶接をを主にやっている会社で、特殊技術もあったりして
特にウチの下請けじゃないんですが、時々仕事を頼んだりしてました。
最近は加工単価が安いので、中国の人とかを雇入れて、事務所に部屋を設けて住んで貰ってたりしてたとか。
世知辛いねぇと思うと同時に会社なんて、吹けば飛ぶようなもんなんだと改めて思う。
地固めをしつつ、0になったつもりで、0にしないつもりで、
冒険をしつつ、石橋を叩いて、
自分しかできないと思いつつ、自分だけではできないと自覚して、
自分の愚かさを反省しつつ、今まで見てきた愚かさに習わず
矛盾を抱えつつ、情熱を持って、前に進むしか無いですな。
凡庸なる自分と世のすべての凡庸なる人々の為に
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